100回目の失恋

 私には好きな人がいる。
 出会いは最悪。でも彼女と関わるようになって。彼女のミアレに対する想いを知って。
 どんどん彼女のことが好きになっていった。最初は人としての好き。だけど今は恋の感情を伴っての好き。
 彼女も私に好感を持っているのは知っていたから、もしかしたら。そんな考えで告白したのももうだいぶ前に思える。
 彼女にのらりくらりとかわされ続けて九十九回目。普通は最初、もしくは片手で数える程度で諦めるでしょ?
 でも私は無理だった。どうしてもあの人の隣に立ちたい。そばにいたい。
 彼女と一緒になれるなら日陰の世界に身を沈めるのだって構わなかった。ミアレを守りたい。最後に行き着く目的がそこなら裏の道でもいいでしょう?
 けど私も心が疲れないわけじゃない。
 何度想いを告げてもあの人は強く拒絶したりしないから、大人の対応をされるから、私は甘えて毎日のように好きだと伝えていた。
 今だとハイハイと流されてしまって私と会うときの定番になってしまっているのかも。
 好きです。付き合ってください。
 ハイハイ。ジプソ、茶の用意。
 全部私が悪いのは分かっている。あの人は優しいから告白をすることだけは許してくれている。
 私が勝手に疲れてしまっているだけで、彼女は悪くない……。
 ミアレを救った英雄でも叶えられない願い。たったひとつだけなのに。叶わない。
 この先あなたは誰かと一緒になるの? そんなの嫌だよ。あなたの隣に私以外の誰かがいるかもしれないと想像するだけでおかしくなってしまいそう。
 そんなときにお母さんからそろそろ一度帰ってきなさいと連絡があった。自分自身忘れていたけど、私は他の地方から来た観光客。
 家族も心配するだろうし、一旦離れるのもいいかもしれない。物理的な距離を取ることでこの想いを永遠に諦めることができるかもしれない。
 それでも最後に、一回だけ──。

   ***

「カラスバさーん! 今日も来ちゃいました!」
「事務所に遊びにおいでゆうたのはワタシやけども……。ほぼ毎日やん! 暇なんか?」
「暇じゃないですよ! このあともモミジリサーチやったり、困っている人を助けたり、メガカケラを集めたり、夜はバトルロワイヤルです!」
「めっちゃ詰まっとるな! ガキの体力はほんま恐ろしいわ……。まあここで少し休んだらええよ。ジプソ、茶の用意したってや」
「はい。カラスバさま」
 最後の日。私は百回目の告白をするためにこうして日課になっているサビ組事務所へと足を運んでいた。
 カラスバさんは変わらず私を迎えてくれて、最初のときでは考えられないくらいに軽口を叩けるようになった。
 ジプソさんも表情柔らかく私に会釈すると用意のためにエレベーターへ。
「……………………」
「どうしたんや? セイカ。急に黙りこくって」
 扉が閉まり、鉄の箱が動き出したことを確認した私はカラスバさんの真横へと移動する。
 そっと……彼女の両手を取り、優しく握る。小柄ながらも大人の女性の手は繊細で美しい。怖い組織のボスだなんて信じられないくらいに。
 自然と交差する視線。眼鏡越しの眼差しはいつもと変わらない。このあと、私がなにを言うのかも全部分かっている。そしてその答えも。
 だってこんなやり取りをすでに九十九回もやっているから。
「…………カラスバさん。本当にあなたのことが好きなんです。ひとりの女性として。あなたと一緒になれるなら、日陰の世界で生きる覚悟もあります」
 ぎゅっ、と手を握る力が強まる。この気持ちに嘘偽りはない。カラスバさんと生きるということは、そういうこと。
 いつの日か、ジプソさんにも言われた。
 ミアレを守るというこころざしは同じでも、我々と貴方の道は交わることはない。
 それでも貴方は、カラスバさまの隣で生きることを望みますか?
 何度も考えた。でもやっぱり答えはひとつだけ。
「…………。……セイカには──きっといい人がいるさかい。ワタシみたいなハンパもんはやめと、き……?」
 ああ。いつもと同じ。少し困ったように微笑んで、私の手をほどく。
 やっぱり、駄目だった……。ここに来る前から分かっていたことなのに。
 どうしてだろう。いつものことなのに。最後にしようと考えていたからか、鼻がつん、として視界が滲んでいく。
 このまま目を開けていたら涙が零れて、余計な心配をかけてしまうかもしれない。
「今回も駄目か〜! あっ、そうだ! 私、急用を思い出したので帰りますね!」
 だから私は無理やり目を閉じて笑った。
 大丈夫? 声は震えていない? 顔も歪んでいない?
「セイカ、待っ──」
 これ以上ここにいたら泣いてしまう。それが嫌で私は脱兎の如くエレベーターへと向かう。
 ちょうどジプソさんがお茶の用意をして戻ってきたばかりで慌てた様子で背中に声をかけられたけど、ボタンを操作してすぐに扉を閉めた。
 グサグサとナイフで何度も刺されるように胸が痛い。熱い水滴が目元を濡らす。
 手の届く範囲にいるのに届かない。それでも伸ばしてしまう。きっぱり諦められればいいのに。
 ──このあと私はどうやってホテルZまで戻ってきたのか分からない。
 気づいたときにはホテルの入り口前にいて、ぼろぼろと涙を流していた。
 誰とも会いませんように。そう考えながら中に入ると。
「……セイカ? どうしたの!?」
「で、デウロ……!」
 私がホテルを出る際にはいなかったデウロがラウンジにある椅子に座っていた。彼女は私の泣き顔を見て焦りながら立ち上がる。
 泣いてるのを見られたのが恥ずかしくて、私はなんでもないよと逃げるようにエレベーターへ。二階に着くなり自分の部屋に一目散に駆けた。
「っ、ふ……」
 よろよろとベッドに寄り、膝をつくと顔をうずめる。色々と、もう限界だった。
「ぅあ……あぁぁーーっ……!!」
 ベッドに吸い込まれる声。悲しみの欠片。次から次へと止まらない。
 どうしてこんなにも好きなのに、隣にいられないんだろう。
 どうして。苦しみや苛立ち。様々な感情が綯い交ぜになって襲いかかる。
 こんな思いをするなら──いっそのこと、あの人に出会わなければよかった……!
「セイカ……」
「デウロ……」
「セイカが泣くところなんて初めて見たから。放っておけなくて。……もしかしてカラスバさんのこと?」
 控えめなノックののち、遠慮がちに入ってきたデウロと目が合う。彼女は私の泣いている理由が分かっているように隣に膝をつくと、そっと……私を抱き寄せた。
 ふわりと広がる優しい香り。人の温もりに私は安心してもっと泣いてしまう。
 カラスバさんへの想い。恋のつらさ。全部、全部吐き出す。
 デウロはその間ずっと私の背をさすりながら黙って聞いてくれていた。時折、相槌を打ちながら。
「セイカがあの人を好きになったことは知っていたけど、まさか百回も告白してたのは驚いたかも……」
「うん……。自分でも驚いてる」
 ベッドサイドに隣同士に座り、私は苦笑いする。普通百回も告白しないよね。まあしたんだけど。
「でもさ。あたし、許せないよ。セイカを受け入れる気持ちがないならもっとちゃんと断ればいいじゃん! それなのに曖昧な返事ばっかでさ……! セイカの純情弄んでない!?」
「でっ、でもやっぱり、告白し続けた私が悪いよ……。カラスバさんは私を傷つけないように大人の対応してくれていただけ」
「セイカはもっと怒っていいんだよ!? 傷つけたくないならこんなに引っ張るんじゃなくて、最初の方でキッパリ断るべきだよ! セイカだって強く断られてたら諦めたでしょ?」
 デウロは腕を組み、自分のことのように怒っていた。彼女の言うように強く断られていたら……後ろ髪を引かれる思いで諦めていたかも。

「素敵……」
 街を散策していたときに目に入ったショーウィンドウ。純白のウェディングドレスには繊細な装飾が施されていてキラキラと輝いていた。思わず立ち止まって見惚れてしまう。
 浮かぶのはただひとり。媚毒という言葉が似合う美しいひと。黒と紫が調和したスーツ姿が常な彼女がこの白い衣装を身に纏ったら……。
「セイカ」
 私よりも白い頬をほんのりと染めて、口元に緩やかなカーブを描きながら私の手を取るカラスバさん。
「はい。カラスバさん」
 私もウェディングドレスを着ていて、アルセウスの前で永遠を誓うの……。
「こないなところで会うとは偶然やな。セイカ。なに見てるん?」
「っ!? こ、こんにちは、カラスバさん! 見てください、綺麗なウェディングドレス! 私もいつか着てみたいなーって」
 妄想に耽って顔をだらしなく緩ませていると背後からの声。
 今の今まで想像していた人にまさか声をかけられるとは思っていなくて、変に声が上擦ってしまった。
 彼女の背後。離れた場所には黒塗りの車。お仕事の帰りかな? その途中で私に声をかけたみたい。
「……たしかに綺麗やな。セイカはべっぴんさんやさかい、よお似合う思うで」
 挙動不審な様子を見て一瞬怪訝そうにしたけど、私の横に立つと腕を組みぽつりと呟く。
「いつか一緒に着ましょうね。カラスバさん」
「そうやな……って、マセガキが」
「カラスバさん、とっても綺麗だから似合うと思います!」
「オマエはほんまにブレへんなあ……。こんな汚れた女が綺麗なわけないやろ」
「綺麗ですよ。カラスバさんは。……だから私と結婚しましょう!」
「色々すっ飛ばし過ぎや!」

 ふと浮かんだ彼女との日常。このときも結局いつもと同じ感じで終わったけど、私のことを拒絶はしなかった。
 ──あれ? 思い出せば出すほどこんな感じの記憶ばかり。
 いやいや。私がミアレを救ったのと、共闘した仲だから穏便に……。
 それでも彼女はそれはそれ、これはこれ、で関係を絶つことだってできる。サビ組ボスである彼女にはその力があるのだから。
「あたしはさ。これ以上セイカが傷つくのは見たくないよ。でも、セイカは諦めきれないんだよね?」
「……うん」
「なら引いてみるのはどう? 押して駄目なら引いてみろってやつ」
 どうしようもなく好き。心の中では今でも諦め悪く彼女の名前を呼んでいるくらいに。
 デウロの提案にふと、とあることが浮かぶ。なににせよ、私は一回地元に帰らないといけない。いつにするかは決めていなかったけど……そうだ!
 スマホロトムを操作して飛行機を確認する。幸いなことに空きがあったのでそのまま予約してしまう。
「セイカ? なにしてるの?」
「飛行機のチケットを取ったの。前からお母さんにそろそろ帰ってきなさいって言われていたから。明日、帰ることにしたよ」
「ええっ!? ちょっと待って! 思い切りよすぎない!? いくら引いてみろって言ったって……!」
 デウロは慌てながらミアレに帰ってくるよねえ……? と不安そうにするけど大丈夫。いつかは帰ってくるつもり。
 もしかしたら数ヶ月、一年になるかもしれないけど。故郷でゆっくり休めばカラスバさんへの想いも胸の奥にしまいこんでしまえるかもしれない。
 そうしたらきっと、彼女とは心許せる友人の関係で収まるかも……。
「ほんと、もう……いきなり過ぎてびっくりだけどセイカらしいか。ガイたちには急いで連絡するとして、他の人はどうするの?」
「みんなには列車に乗ったらメッセージを送るつもり。本当は一人ひとり直接挨拶するのが礼儀だとは思うけど……」
 数日かけてみんなに挨拶するのが正しいとは思う。
 でも今のメンタルを考えると引き伸ばすとどんどん辛くなるのが分かるからこそ、勢いに任せての行動。
 カラスバさんのことを抜きにしてもミアレが、みんなが大好きになったから──少し休んだらまた帰ってくるし、あっちにいる間に移住手続きもしちゃおうかな。
「色々言ったけどさ。あたし、カラスバさんもセイカのことを好きだと思うんだよね。前にカフェで楽しそうにお茶しているの見かけたし。あの人あんな顔で笑うんだって」
 あぁ、そういえば一緒にカフェに行ったこともあるっけ。息抜きに付きおうて、って。
 デウロに見られていたのは驚いたけど、他の人から見てそう思うほどだったんだ。
 カラスバさんも私のことが好き……。本当にそうだといいのに。
「そもそも百回も告白されて拒絶してないから、やっぱり気持ちはあるんだと思う」
「そう、かなぁ……」
 カラスバさんへの好きっていう想いがまた膨れ上がる。どうしようもないくらいに私、あの人のことが好きなんだ……。
「そういう気持ちがないんだったらいくらなんでも百回も告白されたら鬱陶しいし、不気味に思うって」
「あ、ハイ、ソウデスヨネ……」
 いきなりの正論パンチに苦笑いするしかなかった。
 ──数時間後。デウロの連絡で慌てた様子でホテルに戻ってきたガイとピュールに唐突すぎると当然のことを言われたけど、理由を説明したら渋々納得してくれた。
 それでもちゃんとミアレに帰ってくるのかの確認は何回もされたけど。大丈夫。絶対帰ってくるから。
 夕飯も普段クロワッサンカレーが多いから別のなにか、とガイに提案されたけど私にとって思い出深い味。
 だからこそ、最後だからこそとクロワッサンカレーをお願いした。
 カレーにクロワッサンを添えた食べ物。作ろうと思えば家でも食べられるものだけど、ガイが作ってくれた味は彼にしか出せないものだから今夜はお腹いっぱいになるまで食べちゃった。
 カロリーがやばいと思うけど、今日は特別だからね。いいよね。

   ***

「じゃあ……行くね」
「行ってらっしゃい、セイカ。毎日電話するからね!」
「ご家族のところでゆっくり休んできてください」
「セイカは観光で来たからいつかはと思っていたけど、いざ帰るとなると寂しいな。……離れていてもセイカはエムゼット団の大事な仲間だ。帰ってきたら、またバトルしような」
 次の日。ホテル前で見送られながら私は駅に向かって歩き出した。
 本当はみんな、駅まで行くよと言ってくれたけど泣いちゃいそうになるからホテルでのお別れにしてもらった。
 一時的な帰国、なんだけどな。みんなと離れるのがこんなにも寂しいなんて。ミアレにいた期間はそこまで長くないのに。私にとって大事な大事な場所になっていた。
 見慣れた道。人やポケモンも変わらず行き交うのを横目に駅への道を辿る。
 荷物は鞄ひとつだけ。ここに来たときと同じ。本当はこっちで買った服とかがいっぱいあるけど、荷物になるからとホテルの私の部屋に置かせてもらってる。
 列車に乗ったらお世話になった人たちにメッセージを送って……あぁ、でもカラスバさんにはなんて言えばいいんだろう。家族に顔を見せるために一時帰国します。とか? ……さすがに簡素過ぎるかも。
 色々考えている間にもう駅に着いてしまった。この大きな出入り口をくぐれば目の前はプラットホーム。
 刻一刻と迫るミアレとの別れ。ちくちくと痛む胸。デウロには諦め切れないって言ったけど、もうカラスバさんにお別れしないとね。
 ホームの奥へと進む。人も少ない場所で列車を待つことにした。
 列車もあと少し待てば来る。そうしたら彼女への恋心を置いて出発しよう。終わりにするんだ。
 ……なのに。もしかしたら彼女が来てくれるかも、という淡い期待をしてしまう。馬鹿みたい。本当に。
(列車が近づく音がする……)
 遠くから聞こえる音が少しずつ大きくなる。それがカウントダウンに思えた。
 来るわけない。来るわけないよ。
 列車の姿が見えてきた。あと数十秒もしないうちにホームにやってくる。
 未練がましくざわつく胸を手で抑え、大きく深呼吸した。走馬灯のように彼女との記憶が流れる。
 初めての出会い。ランクアップ戦。ユカリトーナメント。暴走メガシンカしたポケモン相手の共闘。
 色んな思い出が浮かんでは消えていき、目の奥が熱くなる。
(ぁ……)
 列車がホームにやって来た。停止し、扉が開くとぽつぽつと人が降り、待っていた人々が乗っていく。
(乗らなく、ちゃ……)
 想いを断ち切るために振り返るけど、もちろん彼女はいない。
(…………)
 鞄の持ち手を強く握り、扉に向かって歩き出す。
 さようならミアレシティ。バイバイ──カラスバさん。
「セイカ!!」
「っ……!?」
 ホームに響く声に体の動きが止まる。ざわつく人々を無視して声の持ち主はヒールの甲高い音とともに一直線に私のところへと駆けてくる。
 もう終わりにしようと思っていたのに。
 彼女の声を聞いただけで、気持ちが崩れていく。
 どうして来てくれたの? 私は……期待してもいいの?
「セイカ……!」
「カラ、スバ……さん」
 カラスバさんは走ってきた勢いのまま、私を後ろから抱きしめた。たくさん走ってきたのか耳元に当たる呼吸は乱れていて、体も熱を持ってる。
 ギュウ……! と私を抱く腕に力が入る。まるで、こんなの……。
「………………行かん、といて……」
「……!」
「行かんといて。セイカ」
 サビ組ボスで、ポケモンバトルも強くて。私はこの人のことを弱いところなんて無い人だと思っていた。でもそれは間違いだったみたい。
 縋るように抱きしめる腕。懇願する声は震えていて弱々しい。肩書きもなにもない。ただのひとりの……女性の姿だった。
 まるで世界に私とカラスバさんしかいないように周囲の音が遠ざかっていく。
(私、本当にカラスバさんに弱いなあ……。こんなことされたら、もう帰れないよ)
 そっと、片手でカラスバさんの腕に触れると大げさなほどにびくっ! と彼女は反応した。もしかしたら振り払われると思ったのかな。
 互いに無言のまま時間だけが過ぎていく。視界の中に列車の扉が閉まるのが見え、ゆっくりと動き出す。私とカラスバさんを残して。
「…………行っちゃいましたね」
 自然と緩んだカラスバさんの腕から抜け出し、体ごと彼女の方を向く。困ったように微笑めば、カラスバさんはばつが悪そうに視線を泳がせた。
 いつも堂々としているからそういう顔もするんだと正直驚く。さて。これからどうしようかな。
「とりあえず……ホテルに戻りましょうか」
「そう……やな」
 戻ってちゃんと話さないと。カラスバさんがどういう意味で私を引き止めたのか。
 あのときの必死さから彼女の本当の気持ちを知ったけど、やっぱり本人の口から聞きたい。それくらいは望んでもいいでしょう?
 ホームを抜けて駅の外に戻れば見慣れた車とジプソさんの姿があった。彼は私たちを見て「間に合ってよかったです」と安心するように表情を緩めた。
「ジプソさん。今日一日カラスバさんをお借りします」
「もちろんです。……カラスバさま。セイカさんとしっかり話し合ってくださいね?」
「……ああ」
 ジプソさんと別れ、このまま歩いてホテルに向かうことにした私たち。その間も無言のまま。
 いつもなら私の方から色々話題を振るけど今はなにを話せばいいのか分からなかったし、逆にこの沈黙が心地いいとさえ思っていた。
「ただいま〜……えへへ……」
「えっ!? セイカ……とカラスバさん!?」
「これはいったい……」
「どういうことだよ!? セイカ、列車に乗ったんじゃ……?」
 送り出してもらった手前、気まずいながらもホテルに入ればラウンジにデウロたちがいた。三人と目を丸くて言葉を失っている。
 そりゃあそうだよね。もうミアレにいないと思っていた人が急に、しかもカラスバさんと一緒に現れたんだから。
「えーと……、あ、そうだ! あたし行きたい場所があるんだよね! ピュールとガイも付き合って! ね! ほら行くよ!!」
 素早く察したデウロが困惑中のふたりを連れて外へと向かう。その察しのよさは女の子特有なのかな。とにかくカラスバさんと二人きりになれるのはありがたい。
「……さて。私を止めた理由、聞いてもいいですか?」
 部屋に戻った私はベッドサイドに座り、立ったままのカラスバさんを見上げる。彼女もさすがに観念したのか、静かに息を吐き出すと意を決したように隣に座った。
 今まで感じていた彼女との距離が嘘のように思えるほどのゼロ距離。
 ふわっと香る彼女の香りは蠱惑的な甘さがあって、大人の女性なのだとひしひしと感じた。
「ワタシは……今までずっと逃げとったんや。オマエに好き言われて嬉しい反面、ワタシみたいな半端もんが正義の味方、カタギのセイカに手ぇ伸ばしたらあかん。お天道様の下を歩く──いいや。お天道様そのものの子を日陰に引きずり込んでええわけあらへん、てな」
 カラスバさんは続ける。
「セイカのためにはもっと強う断らなとも思た。せやけどな……怖かった。オマエの好意が他の誰かに向くのが。……違う。全部詭弁や。オマエの優しさを利用して自分が安心していただけ。どっちつかずのぬるい関係。好きとも嫌いとも言わず。曖昧な関係が心地よかったんや」
 俯き、床に視線を向けながら言葉を紡ぐ彼女の横顔はつらそうに歪んでいる。
「なんべんもあやふやな返事をすればセイカやって傷つく。そないな簡単なことにずっと目ぇ背けとった。オマエが駅に向かっているとジプソから報告されたときもこれでええんや思たけどな……あいつに活を入れられて目ぇ覚めた」
 なまじ色々な世界を知っているからこその葛藤。懺悔するようにぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐカラスバさんは最後に私の方を向くと壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめてくれた。
 彼女の香りに包まれて頭がくらくらとしてきた。心臓も鼓動を速め、体温が高くなっていく。
「セイカ。今までごめんな。オマエはとっくに覚悟を見してくれたのに、今までずっと向き合おうとせえへんで。……ワタシもオマエのことが好きや。ミアレに……ずっとワタシのそばにおって」
 そう言うと彼女は軽く体を離し、顔を近づけてくる。
(あ……、キレイ……)
 ぼんやりと思ったときには唇に柔らかな感触。
 それがキスをされていると理解した瞬間に全身の力が抜けた。
 触れるだけの優しい口づけ。甘やかな雰囲気ながらもカラスバさんの覚悟を見せつけられているよう。
 絶対に離さない。そんな気持ちが伝わってくる。
 ……私は夢を見ているんじゃないだろうか。自分に都合のいい夢を。本当は今、自分は列車に揺られながら眠っているんじゃ?
 そんな考えが一瞬よぎったけど、彼女の体温や香り、なにより唇の感触がこれが現実なのだと訴える。
(夢じゃ、ないんだ……)
 途端に涙をせき止めていた壁が崩れて、熱を持った雫が頬を伝う。
「セ、セイカ……!?」
「もう、本当に……遅いですよっ……! 私がどれだけ、っふ、うぁぁぁっ……!」
「……ほんまに、堪忍な」
 小さい子どものように涙が止まらない私をカラスバさんは抱きしめて背中や頭を撫でてくれた。
 私、そんな歳じゃないのにな。でも甘やかしてくれるのがまた嬉しくて私はもっと泣いてしまう。 
 やっと恋が成就したんだから、色々話したいことがあるのに。でも今だけはこうさせて……。

   ***

「ねえカラスバさん。やっぱり私、地元に帰ります」
「っ!? 離さへんってゆうたやろ……!?」
 ようやく落ち着いた頃。私の発言にカラスバさんはポッポが豆鉄砲を食らったようなすごい顔を見せてくれた。
 こんなときにアレだけど歪ませがいのある人だな〜。色んな顔を見せてくれるから。
 勘違いしているカラスバさんは私の手を握ったままの手に力を込める。置いて行かれることを想像したのかな。
「だから。カラスバさんも一緒に行きましょう! ずっと一緒にいるってことは遅かれ早かれ結婚するってことですし……。顔合わせってことで!」
「け、結婚……!? た、たしかにそうやな。結婚……結婚か……。でも大丈夫なんか? 娘が帰ってきた思うたらワタシみたいな女連れていきなり結婚しますー、て」
「大丈夫ですって! お母さんには猛アタックしてる女の人がいるって伝えてありますし」
「オマエ親とそないな話してんのか!? なんぼミアレでは同性婚できるいうてもな!?」
「かっこよくてバトルも強いんだよって話したらお母さんも会いたいわ〜って言っていたし。安心してください! こっちに移住する手続きもしたいですし……カラスバさんに地元の紹介もしたいので長めのお休み、取れませんか?」
「あぁ……もう分かった分かった。調整するわ」
 展開が早いからかさすがのカラスバさんも少し疲れた感じで言うけど、口元の笑みからして嬉しそうなのが伝わってくる。
「…………なあセイカ。ワタシはミアレを守るためとはいえ、胸を張って言える仕事はしてへん。これからも汚れ仕事は続いてく。オマエを悲しませることもあるかもしれへん。……それでもワタシのそばにおってくれる?」
 私の手を握り、答えなんて分かっている上で言葉を引き出そうとしてる。
 綺麗事だけじゃ平和は守れない。
 きっと私が知らないだけで人には言えない仕事もあるんだと思う。
 でも今更だ。そんなこと。私はこの人のことを好きになったときから、一生日陰で暮らすことになってもいいと覚悟を決めた。
 たとえそれが家族や親しい友人とお別れすることだとしても、私はカラスバさんを選ぶ。
「あなたの隣で生きるということは、そういうことだと覚悟していますから」
 彼女の小さな顔を両手で包み込み、潤んだ唇に自分を静かに重ねた。
 これは永遠を誓う口づけ。
 どんなことがあってもあなたと一生を添い遂げることを、誓います。
「カラスバさん。これから色々と決めていかないとですけど、なにから手をつけましょうか?」
 軽く考えるだけでもやることが沢山浮かぶ。なにから始めようかという私の問いに彼女は視線を細め、口元にかすかな弧を描いた。
「……指輪、やな」
「……!」
 その一言で私の百回の失恋は、全部報われた。