住宅街に近い場所にある一軒のカフェ。珈琲の香ばしい香りが満ちる店内は落ち着いた空間になっており、静かな時間を好む人にはぴったりの店になっている。現在の時刻は夕方。外は夕日に照らされ、夜の帳が下りようとしていた。
「ねえルシフェルさん。パパは……ママを愛していたのかな?」
カウンター席にて話すのは学校帰りのジータだ。彼女以外客はおらず、店主であり、ジータの父親であるルシファーの弟で瓜二つの顔をしたルシフェルを独り占めしている。
普段ジータは学校が終わると寄り道せずに愛する母親、ベリアルが待つ家に真っ直ぐ帰るのだが、こうしてたまにルシフェルが営むカフェに寄っては珈琲を楽しむのだ。
出された珈琲の茶色い水面に映る自分の顔を見ながらジータは小さく呟く。すでに故人であるルシファー。ベリアルの夫である彼はジータから見れば母親をあまり大事にしていなかったように見えた。
同い年の子どもたちは父親に遊んでもらったこともあるだろうが、いつも研究と実験で家の地下にある研究室にルシファーはこもりきりだったため、ジータには一切そういった記憶がない。
まともに会話もしてなかった。そんな父親の代わりに愛を注いでくれたのは母親であるベリアルだ。
「ママはパパのことを今でも愛している。……私が運命なのに、パパを超えられないの。それが悔しくて」
他に客がいないからとジータはずっと隠していた気持ちを吐露する。
ジータとベリアルは実の親子でありながら運命の番という希有な存在。世間的に見れば異端だと忌み嫌われるが、当の本人たちは常識の枠にいないので特に気にしてはいない。
運命の番は魂の繋がり。強固な絆があるというのにベリアルの心にはいつまでもルシファーがいて、どうしても一番になれない。
ベリアルには見せない心境を口にするジータに対して聞くに徹していたルシフェルは穏やかな笑みを浮かべ、口を開く。
「ルシファーは確かにベリアルを愛していたよ。彼なりにね。……私の知る限り、兄が自分のそばにいることを許したのは私以外だと君と、君の母だけだ」
「そう……かも」
ジータは思い出す。ルシファーの雇い主でもあるパンデモニウムの人間に対しては鬱陶しそうにしていたが、ベリアルに対してはそこまで邪険にしていなかった。そして自分も……。
「それによく考えてみてほしい。今はオメガのベリアルも元はアルファ。ビッチングという行為を、あの兄がなにも思っていない者にするだろうか」
指摘され、ジータは黙ってしまう。
ビッチングはアルファがアルファを後天的にオメガにしてしまう行為。自身の歪んだ欲望のために強行に及ぶ者もいるが、中には特別な感情を抱いた果てに──ということもある。
淫奔なベリアルならまだしも、淡白なルシファーに限って前者はない。ならば後者か。さらには自身とベリアルの間にジータという子どもを許した。
「……パパなりにママを愛してた……」
「ああ。そしてジータ、君のことも」
「……そう、かな」
「もちろん」
同じ顔をしているというのにルシファーならば絶対にしないような温かな微笑みを浮かべ、ルシフェルは肯定する。
(パパ……)
極めて不器用な愛を知り、ジータの中にあった嫉妬の炎は勢いをなくしていく。むしろもっと父親のことを知りたいという気持ちが強くなる。
無性にルシファーの話が聞きたくなったジータは家に帰ることを決めると、珈琲を飲み干して席を立った。
「私、帰ります。なんだかママからパパの話が聞きたくなっちゃって」
「ああ。またいつでも遊びに来るといい」
繭に包まれるかのような優しい眼差しを受けながらジータは外に出た。冬の季節なので外は寒く、白い息が見えるほど。
今から帰る温かな場所。そこで待っている愛しい人を想像してジータは顔をほころばせると、帰路につくのだった。
終