よしよし係、承ります

「あ゛〜〜! もう無理や! セイカ、いつものしたって!」
「もうしてるじゃないですか」
「ではわたくしはこれで。人払いもしておくのでカラスバさまのことをよろしくお願いいたします」

 事務所のカラスバの部屋にて。昼過ぎに彼女に呼ばれたセイカの胸には、サビ組ボスであるカラスバの顔が埋まっている。
 甘えるようにぎゅうぎゅうと背中に腕が回され、大きい実りを堪能するように頬を擦り付けてくる。
 セイカは横目にデスクを見た。山積みの書類。組織のトップに立つゆえに様々な決定を下さなければならない。
 今のカラスバには威厳あるボスの姿は皆無。セイカや右腕であるジプソ以外には見せられない光景だ。
 そのジプソも部屋をあとにし、ふたりきりになった。途端に甘い空気が部屋を満たしていく。
 セイカとカラスバは恋人同士。そしてセイカはカラスバ専属の癒やし係でもあった。
 カラスバが生きる裏社会は男社会だ。その中で女として組織のトップに立ち、ミアレのために尽力する。それは多大なストレスと疲労を伴う。
 そんな彼女を受け止めてあげるのがセイカの役目。ガイの借金で邂逅した際はまさかこんな関係になるとは思ってもみなかったのだが。

「カラスバさん。ソファに行きましょう」

 椅子に座っているカラスバはまだしも、セイカは立ったまま。ずっとこの体勢はつらい。
 上質な素材のソファに腰を下ろせば、すぐにまたカラスバは胸元に顔を寄せてきた。今度は眼鏡を外し、耳を中心に当ててセイカの命の鼓動に耳を澄ませる。
 カラスバの呼吸が当たり、こそばゆさを感じるも、セイカはそれ以上に彼女への愛が募っていく。

「どいつもこいつも、借りた金返さへんねん。なあ、かわいそうやろ? ワタシ」
「そうですね。お金のことでなあなあは駄目ですよ」
「女やからって舐めてんちゃうぞ。次も返済遅れたら今度こそブチのめしたるわ」
「……はい。そこまで。イライラの原因を考えるのは。私といるんですから、私のことだけ考えてください」
「セイカ……」

 カラスバの後頭部を撫でれば刈り上げのザリザリを感じてセイカは柔らかく目を細める。
 普段はクールで怖い印象の彼女の可愛い一面。自分だけが独占しているのだと想像すれば、じわじわと背筋が甘く痺れる。
 ピカチュウのようにほっぺをすりすりし、セイカのたわわを堪能しているカラスバを甘やかしていれば、初めてのときを思い出す。もうだいぶ昔のようにも思える始まりの日。

   ***

 カラスバにいつでも遊びにおいで、と言われ言葉どおりに受け取ったセイカは頻繁に事務所に顔を見せに行っていた。しかし今日は妙な空気感があった。
 事務所に入れば組員の誰かどうかいるのだが、今日はおらず。シン……としていた。
 外の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。なにかあったのかな? とは思ったが、色違いのフシデを捕まえたのをカラスバに見せたくてセイカの姿はエレベーターに吸い込まれた。
 短い電子音。扉が開けば。

「ア゛ぁ!? 誰も入れんな言うたやろ!!」
「っ!?」

 カラスバがいつもいる執務室。その景色が見えた瞬間に荒々しい怒鳴り声がセイカの身をすくませた。
 怒鳴りつけたのはソファに座っているカラスバだった。ガイの借金の件で初めて会ったときよりも恐ろしい形相をした彼女の額には何本もの青筋が立てられ、怒りによって細くなった瞳がセイカを射抜く。
 まるで“へびにらみ”を受けたようにエレベーターの前で動けなくなった哀れな少女の姿を見て、カラスバはハッ、とすると恐怖を与えてしまったことを詫びた。
 明らかになにかがあった。だから事務所の様子がおかしかったのか。
 その内容は分からずとも、なんとなく想像はできてしまう。
 とにかく。今はフシデの話をできる状態ではない。

「すみません。私、お邪魔でしたね……」
「そないなわけあらへんよ。せやけど……今はひとりにしといてほしい。……堪忍な」

 無理をして笑みを作ったのだろう。カラスバは膝に片手を立て、手のひらを額に押し付けるように項垂れてしまった。
 セイカも彼女の希望なのだから出直そうとカラスバに背中を向け、操作盤に手を伸ばそうとして──止まった。
 カラスバさんにとって迷惑なだけかもしれない。でも、今の彼女をそのままにしておけない。
 最初こそ最悪の出会いだった。
 けれど今は違う。彼女の優しさも、ポケモンへの想いも知っている。
 だから、放っておけない。
 セイカは決意し大股でカラスバのもとへ早歩きで向かうと、彼女の隣に腰を下ろす。そして。
 ──ぽふっ。

「ッ!?!?」

 カラスバの顔を、豊満な実りへと引き寄せた。
 セイカは自分の胸があまり好きではない。羨ましがられることはあっても、それ以上に苦労してきた。
 けれど故郷の友人たちは、セイカに抱きしめられると安心すると言っていた。
 つらいときや悲しいとき。胸に抱かれれば落ち着くのだと。まるで人間版のポケモンセンターみたいに。
 カラスバに対して同じ効果があるかは分からない。嫌がられたらすぐにやめる気持ちで、セイカの片手は彼女の背中を往復する。大丈夫だよと告げるように、ゆっくり、何度も。

「──少し。疲れちゃいましたね」
「な、なにしてッ……」

 想像の範囲外の出来事に脳内が漂白されてしまうカラスバをよそに、セイカは後頭部に手を添えるとあやすように背中を一定のリズムで優しく叩く。
 強張っていたカラスバの体もチルタリスの羽毛に包まれているが如く、力を失いセイカにかかる重さが増えた。

「ポケモンのために。ミアレのために。カラスバさんはいっぱい頑張ってます。だから……たまには誰かに──私に、寄りかかってください。あなたを受け止めるくらいの度胸はありますよ」

 カラスバはなにも言わない。しかしセイカの背中に回される腕が、彼女の感情の揺らぎを示す。
 セイカも黙ってカラスバを包み込む。
 サビ組ボスとして日陰の世界で生きるカラスバのことを、強い女性とばかり思っていた。
 実際にそうではあるが、彼女だって人間。その双肩にのしかかる重荷をひとりで抱え込むのは厳しいときだってある。

「故郷の友達が言ってたんです。セイカに抱きしめられると安心する。癒やされるって。だからあなたが嫌でなければ、このまま……」

 囁きを降らせてしばらくすると、胸元に当たる呼気の間隔がゆっくりと整っていく。
 預けられる重みもさらに増して、カラスバがようやく力を抜いたのだと分かった。
 セイカはなにも言わず、そのまま慈しむように抱きしめ続ける。
 ふたりの心の距離が縮まり、恋人に至る始まりの出来事だった。

   ***

 ふと、胸元に感じる重みでセイカは現実へと引き戻された。

「……カラスバさん?」

 呼びかけると、返事の代わりに胸へ頬を押しつける力が少しだけ強くなった。
 甘えたさん、ですね。と喉の奥で転がしながら胸元の熱源に心を寄せる。
 ──あの日はただ、放っておけなくて抱きしめただけだった。
 それが今では、こんなにも自然に彼女を受け止めている。
 大きく膨らんだ胸も今では好きになれた。愛しい人が愛でてくれる。それだけで救われていた。

「私ね、思い出してたんです。初めてこうした日のこと」

 髪を撫でながらそう言うと、カラスバは胸元でくぐもった声を漏らした。

「……ワタシもや」

 眼鏡のない顔を少しだけ上げ、こがね色の瞳がセイカを見つめる。
 威圧感のあるボスの顔ではなく、恋人にだけ見せる柔らかな表情。眼鏡を外しているせいか、年上なのにどこか幼い印象すらあった。
 蜂蜜を垂らしたような甘い瞳に見つめられて、セイカの身体が熱を孕んでいく。

「結局、あの日からやな。ワタシがオマエの胸に弱なったんは」
「弱いんじゃなくて、好きなんでしょう?」
「……せやな」

 あっさり認めるとカラスバの顔はまた胸に。
 甘えるように谷間に頬をすり寄せ、心ゆくまで堪能する様子にセイカはくすぐったそうに肩を揺らした。

「もう、そんなにしたら……別の意味でドキドキしちゃいます……」
「ええやん。せっかく二人きりなんやし。ワタシの好きに甘えさして」

 少しだけ熱を帯びた響きにセイカの頬が赤くなる。
 けれど嫌ではない。むしろ、抱きしめる腕にそっと力を込めた。

「……いいですよ。私、カラスバさん専属癒やし係ですから」
「ならぎょうさん癒やしてや……」

 くつくつと喉で笑う気配。
 穏やかなはずなのにどこか甘く、危うい。
 狙いを定めたアーボックのようにカラスバは下から這うように顔を近づけ、潤んだ唇を食んだ。
 ちゅっ、と可愛らしい音が響く。
 それを皮切りにぬるりと舌が口内に侵入してくる。
 セイカの舌へ絡みつき、何度も角度を変えながら甘い唾液をさらっていく。
 身体から力が抜け、ソファに倒れ込めばカラスバはセイカの耳を塞ぎながら再び唇を重ねた。
 水音混じりのいやらしい音が、耳の奥をじわじわと侵していく。
 口内をねぶられればビリビリと脳髄に電流が走り、カラスバの腕の中でぴくぴくと震えが止まらない。

(ここで許したら、ダメ……!)

 カラスバの舌や指で愛されるイメージが浮かび、このまま受け入れ訪れる時間はセイカにとっても非常に魅力的。でも、駄目なのだ。今は。
 セイカは堕ちてしまいそうになりながらも、最後はカラスバの肩を優しく離した。
 目尻に雫を浮かべ、赤く染まった顔に乱れた呼吸。うら若き乙女のオンナの顔はカラスバのスイッチを入れるには充分で。

「セイカ……シたい」

 本音を言えばセイカだってこの先をしたいのだ。しかし流されてしまってはいけない。自分も、カラスバも。
 断腸の思いでセイカは首を横に振った。

「っ……ここまで、です。まだいっぱいお仕事残ってますよね?」
「なんやお預けか……? 酷いやんなあ。こないなっとるのに我慢せえ言うん?」
「そのパワーをお仕事に向けてください。そしたら……私もたくさん頑張りますから。夜になったらカラスバさんのお家で、あなたが満足するまでシましょう……?」

 不満という言葉を顔に張り付けているカラスバの頬を、セイカは片手で包むと親指ですりすりと撫でる。
 さすればカラスバも感じ入るように目を閉じた。

「終わったら一緒にお風呂に入って、イチャイチャしたいなあ……。……ねえ、カラスバさん。お仕事頑張れる……?」
「速攻で片したるわ」

 カッ! と目を見開き、デスクへと戻っていくカラスバからは今の今までの雰囲気は微塵も感じられない。
 セイカの癒やしで全回復したようだ。
 昼下がりの事務所に甘い空気だけを残して、カラスバは書類の山へ向き直る。
 そんな恋人の姿を眺めるセイカの顔は、今夜の約束にどうしても緩んでしまうのだった。