ジータちゃんと結婚したいベリアルと結婚したくないジータちゃんの話

「美肌の秘訣……特になにもしてない? もう……そんなわけないじゃない」
「ファンの夢を壊さないベターな答えに決まってるだろ。この体を維持するのがどれだけ大変か。人間ってのは本当に不便だよ」
「星晶獣だった頃は不変の存在だったもんね。けどすごいよ。あのときと変わってないもん」
 あと数時間で日にちが変わる時刻。高級タワーマンションの一室での会話。広いリビングに置かれているソファーに座る金髪の女性の手には、今日発売されたばかりの週刊誌があった。
 彼女が見ているページは大人気バンド、パラダイスロストのボーカルであるベリアルのインタビュー記事。その中でベルゼバブに次ぐ美肌の持ち主と言われている彼に秘訣を聞いているが、その答えはありきたりなもの。
 今日はもう寝るだけなのか。落ち着いた色のパジャマを着ている女性は一人ツッコミを入れていると、リビングの扉を開けて現れたのは雑誌の写真の中にいる男だった。
 だがその顔には白いフェイスパックが乗せられている。質問にはなにもしていないと答えたが、誰も知らぬところではこうした努力を積み重ねていた。
 女性──ジータとベリアルには前世の記憶が鮮明に残っている。前世のジータは騎空団の団長をしており、星晶獣であり、堕天司という存在だったベリアルと終末を阻止するために刃を交えた。
 それが今世ではこうして親密な関係になっており、人間になった影響か、悪辣な男だったベリアルもだいぶ丸くなったとジータは思う。それに彼女と彼の間にはもう戦う理由がない。そもそもこの世界は平和に満ちていた。
 そんな世界でジータもベリアルも特別な力を持たないただの人間として日々を生きていた。
「そうだ、保湿クリーム買うの忘れたからキミのを使わせてくれないか?」
「うん。いいよ。持ってくるからソファーに座って待ってて」
 雑誌を閉じたジータはベリアルと会話を交えながら立ち上がると、キッチンへ。やかんに水を入れると火にかけ、ベリアルのために自室へと向かうと、丸型の白い容器を持ってすぐに戻ってきた。
 言われた通りにソファーに腰掛けるベリアルはすでにパックを取っており、しっとりと濡れた白い肌が見えていた。
 その顔は星晶獣だった頃と比べて寸分の狂いもない。彼の努力の結晶だ。
「塗ってあげる」
 ジータは真横に座るとクリームを手に取り、ベリアルの肌へと乗せていく。ベリアルは目を閉じ、されるがままだ。
 クリームの珠を何個か乗せ終わると、両手を使って塗り広げていく。
 ベリアルの肌の感触はずっと触っていたいくらいにモチモチしており、毛の処理もしているのかなめらか。
 ジータも手入れはしているが、ここまでにはなれないと羨ましがるように目を細めると、口角を上げた。
 前の世界で寿命が尽きるまで生き、今生では少しばかりジータの方が年上というのもあるのか、ベリアルに対して可愛らしいという感情が湧き上がる。
 現在のジータとベリアルの関係を前世の自分たちに言っても信じてもらえないだろう。逆に魅了をかけられているの? かけているのか? と疑われる。それほどに穏やかな関係だった。
 ぽつりぽつりと会話を交えながら手を動かしていると、急に会話が途切れた。談笑し、緩んでいたベリアルの頬がスッ、と引き締められるのを触れている場所から感じ、ジータはどうしたの? と目で訴える。
「なあジータ。そろそろオレと結婚してくれないか」
「い〜や〜で〜す〜! 動機が不純すぎるもの」
 ベリアルの顔に保湿クリームを塗りながら話をしていると突然の告白。だがジータは慣れているのか軽く受け流し、微笑みつつ、クリームを浸透させるためにベリアルの頬を包み込む。
 このやり取りが始まったのはジータが高校生。ベリアルが中学生のとき。法律的にも結婚できないが、ジータと一緒になりたい理由が不埒すぎた。
 理由はファーさんことルシファーと家族になりたいから。
 なんの因果か今世ではジータはルシファーの実姉で、宿世の記憶を保持する彼とはそれなりに良好な家族関係を築いていた。
 ベリアルとの邂逅はルシファーが中学生になったときだった。別の小学校に通っていたベリアルと同じ学校、同じクラスになったことで再会し、人間に転生してもなお自らの主と認識するルシファーの姉がジータと聞いた彼は嬉々として結婚を申し出たのだ。
 前世と変わらず造物主を求めるベリアルのその精神には感服するが、そんな理由ではい結婚しましょうと応じるジータではない。
 それからは結婚してほしい、しませんのやり取りは現在に至るまで続いている。
 波乱万丈な人生を送ってきた記憶を持ち、達観している影響か。ジータにとって結婚はそこまで重要なことではなかった。
「同棲を始めてもう十年以上になるんだぜ?」
「それはあなたが勝手に転がり込んでずるずるといるだけでしょうに。ルシファーも隣に住んでるし、ここにいれば彼の世話をするのに便利だし」
「たしかに……最初はファーさんと家族になりたいって理由だった。それは今も否定できない。だけど昔と違ってキミを大切に思っているんだ」
「その割にはお遊びが過ぎるようだけど?」
 少し前の週刊誌にベリアルの女性問題がすっぱ抜かれた記事が載っていたのを思い出しながらジータは考える。仮にベリアルと結婚したとして、彼の浮気に嫉妬したり、怒ったり、悲しんだりするのだろうかと。
 軽く想像してみるが、なんとも思わなかった。むしろ彼らしいとさえ思う。前世の彼の乱れ具合をよく知っているせいだ。
 そんなことを思い、苦笑しながら口にすれば、ベリアルの顔がジータの手の中で不満気なものへと変わる。
「それはキミがヤらせてくれないからだろう」
「付き合っているわけじゃないからね。あっ、お湯沸いたみたい。ココア作るけど飲む?」
「あ、あぁ。頼むよ」
 結婚の話はお湯が沸いたことを知らせる音で流され、ジータは椅子から立つとキッチンへと向かう。
 ベリアルの返事に食器棚から赤と青のマグカップを二つ取り出すと、慣れた手つきでココアを作っていく。
「そうだ。ねえベリアル、明日の夜ご飯なに食べる? あなたが食べたい物、なんでも作ってあげる」
「んー……そうだなァ」
 視線はマグカップの中で作られる飲み物へ向けられたままの言葉。その会話はまるで夫婦のよう。そして明日は初めてベリアルから告白された日でもある。それを覚えているのは──ジータだけだ。