星晶獣の守護者

「こんなところかな。ふぅ、たまには自分の足で調査するのもいいものでしょ? ルシファーってば実験室に閉じこもってばかりだもの」
「ルーマシーに似て自然が豊かで土壌にも質のいい魔力が含まれている、か……。俺の研究に役立つ素材が多いとお前が言うから調査に来たが、悪くない結果だ」
 空の世界のとある島にて。ルシファーは地質調査、ジータは実験に使う素材集めとそれぞれの作業をしており、キリのいいところで終えたところだった。
 空の世界においての研究所があるルーマシーから離れたこの島はジータが空の世界の調査のためにこことは別の島に外出した際に偶然見つけ、一度も上陸したことがないからと立ち寄ってみたのだ。
 そうすれば彼の研究に役立ちそうな魔力が備わった素材が豊富にあり、持ち帰って報告をすれば珍しくルシファーが興味を示したのでふたりで小型騎空艇に乗って調査・素材集めのためにやってきたのだ。
「もう夕方かぁ〜。今から帰ったら遅くなっちゃうし、この近くに町があるからそこに泊まろうよ。ね? ルシファー」
 集めた素材を携帯用の保存容器にしまうとジータは近くに立つルシファーに提案する。空は赤くなり始め、今からルーマシーに帰るとなると暗くなってしまう。騎空艇の操縦に不安があるわけではなく、ジータの個人的な感情からの言葉だった。
 普段ルシファーは実験室にこもってばかりでこうして二人でお出かけというのは基本ない。ジータからすればちょっとしたデート。研究所に帰ればまたいつもと変わらぬ毎日が来るのだ。たまには研究や実験を忘れてルシファーにゆっくり過ごしてほしいという気持ちもあった。
 ジータの問いかけにルシファーは数秒空を見つめると「お前に任せる」とジータの判断に委ねる答えが。その言葉に嬉しさを隠すことなくジータは頷くと、荷物を持ってルシファーを町まで案内していく。
 あまり広くはないこの島には町がひとつあり、ふたりはそこへ向かう。木々が生い茂る森の深くから浅い部分へ、森を抜ければ街道が見えた。その頃には空は赤と青のグラデーションになっており、夜の帳が下りるまでそう時間はかからないだろう。
 整備された道の先にはそれなりの大きさの町があり、煌々と明かりが灯っている。どうやら祭りをやっているようだ。町には至るところに飾りが施されており、活気のある声が離れたジータたちにも微かに聞こえてくる。
「なにかお祭りをやってるのかな!? 宿に荷物を置いたら一緒に見て回ろうね、ルシファー!」
「興味がない。わざわざ人混みに混ざりに行くなど理解できん。俺は宿についたら休む。お前ひとりで回れ」
「そんなこと言わないで一緒に行こうよ! 研究所じゃまず体験できないことだし、絶対楽しいから! それに美味しいものもあるかもよ?」
 目を輝かせながら小さな子どものようにはしゃぐジータを横目にルシファーは淡々と口にするが、ジータは一歩も引かない。彼女の中ではすでにお祭りをルシファーと見て回るという名目のデートが決定しているのだから。
 興味がないと平常運転な彼にダメ押しで食に関することを口にすれば、ルシファーの目元が一瞬反応したのをジータは見逃さない。食事に関してはエネルギーが得られればなんでもよく、こだわりのない彼だが口にする以上不味いより美味しい方がいいという一般的な感覚は持ち合わせている。
 さらに最後に食事をしてからすでに数時間は経っているので彼は空腹状態。
 ジータが造られる前は食事は適当かつ平気で何食も抜いていた彼。ジータが彼の食生活を管理するようになってからは必ず三食食べさせて、おやつタイムもある。彼がすっかりと忘れていた空腹感に訴えればあともうひと押しというところか。
「私、空の世界の調査でたまに出かけるでしょ? その出先で今日みたいにちょうどお祭りをやっていたことがあって。屋台がたくさんあってね、食べ物屋さんで普段食べないようなものをい〜〜っぱい食べたんだぁ。あれは美味しかったなー。この町にも屋台あるかな?」
「……チッ。好きにしろ」
「やったぁ! じゃあまずは宿を確保しないとね。行こっ、ルシファー!」
 わざとらしい演技に舌打ちされるも最後はルシファーは折れ、ジータの好きにさせることにした。これが他の存在ならば絶対に自分の意思を譲らないのだが、彼はジータに甘いところが多々あった。
 彼女の好きにさせる。その理由は彼が愛というものを知らないので答えにたどり着くことはないが、ジータの行動を受け入れてやることに悪い気はしない。それだけで彼女の行動を許していた。
 ルシファーの手を握り、鼻歌まじりのルンルン気分で町へと向かえば近づくにつれて人々の楽しげな賑わいや、町中に施されている飾り付けはジータの興味を惹く。
 屋台も至るところにあり、食べ歩きをするのが楽しみだとジータの心をわくわくさせる。すっかりと祭りの雰囲気に染まっている獣を冷ややかな目で見つめながら歩くルシファーは、あることに気づく。
 視界に入った大柄なドラフ男がサイズの大きい女物の服を着ており、パートナーである女ドラフは男性の服を着ているではないか。
 それをきっかけに周囲を見渡せば男性が女装を、女性が男装をしている割合が多い。異性装をする祭りなのか? とルシファーが考えを巡らせる間にも宿屋に着いたようだ。
 それなりに大きい宿の二階には大きな窓があり、あの窓から夜空を見たら綺麗なんだろうなとジータは目を輝かせる。ただでさえルシファーとのお泊り。雰囲気のいい部屋を選びたいという気持ちは当然。
 ルシファーの手を引きながら早速ジータは扉を開けて中へ。見た目からしてそこそこランクが高めの宿だけあり、内装は統一感のあるインテリアが置かれ、気分が上がってくる。
 受付にはヒューマンの青年が立っており「いらっしゃいませ」と丁寧にお辞儀すると、ルシファーの姿を見て畏れ多いものでも見るかのように瞠目した。
「その服……! そちらの方は星の民では……?」
「はい。えっと、泊まりたくて。二階の大きな窓がある部屋、空いてますか?」
「はい。もちろんでございます。ただ……ベッドがダブルになっておりまして」
「それで構いません」
「かしこまりました。ではこちらがルームキーでございます」
「あの、お金は……」
「ま、まさか。星の民様から料金を頂戴するわけには参りません」
 空の民からすれば星の民は支配者層。畏れる気持ちも理解できる。だがこちらも空の民と同じ宿泊客なのだ。ルシファーが星の民だからといって特別扱いは不要。
「星の民でも他の方と変わらないお客です。だからお支払します。だよね? ルシファー」
「知らん。俺に振るな」
 ジータは支払う意思があるが、ルシファーは不明。彼の答えは分かりきっているがそれでも念のため聞けば、やはりイメージどおりの返答。
「もう……。まあそんなわけなので、お支払いします」
「は……はい。そこまで仰るのならば……」
 彼の反応に苦笑いしつつもジータはルピを支払い、フロントの男性もそこまで言うのならと大人しく受け取った。
「そういえば今日ってなにかのお祭りなんですか?」
 少々気まずい雰囲気になってしまった。ジータは明るい口調で話題を変えれば、男も彼女の気遣いにハッ、としたように通常の接客モードへと戻り、窓の向こうに広がる祭りの風景を眺めながら説明してくれた。
「数百年前にこの島には邪悪な魔物がいて女性を生贄として喰らっていたそうです。あるとき生贄に選ばれた女性には夫がいて、妻には魔物に悟られぬよう男装させ、自分が妻の代わりに女装をして魔物に連れ去られ──最後は夫と、彼を追いかけてきた妻がその魔物を倒したそうです。それからは夫婦の愛と勇気を讃えた祭りをするようになり、大切な人がいる者たちは夜が明けるまで異性装をして過ごすようになったのです」
「そんな歴史があったんですね」
 数百年前といえばまだジータが造られていない時代。星の民による空の世界への行き来はあっただろうが、言い方は悪いがここは辺鄙な島。星の民が来たのもそう多くはないだろうし、研究職でもない星の民からすれば目ぼしいものもないので特に資料が作られることもなかった。
 当然ながら空の世界のこういった歴史が資料として星の民側に残されていない島は多く、やはり自分の足で訪れることは大事なのだとジータは実感する。なにがルシファーの役に立つか分からないのだから。
「よろしければお二人も祭りに参加してみては? 隣の服屋では衣装レンタルもしているので楽しめるかと」
「そうですね。せっかくだし……! あとで行ってみます」
 異性装の祭り。つまり女装したルシファーが見れるとジータはコアを高鳴らせる。彼は男性でありながらも中性的な顔立ちで美しい。体も細いためきっと女物の服も似合うはず。
 ずっと置き物状態であったルシファーを連れて階段で二階に上がると奥の扉へと向かう。ロビーと比べて雑貨は少なめになっているが、それでも宿の品位は保たれたまま。
 花瓶に花が生けてあったりと研究所と全く違う雰囲気に少々興奮しながらも、ジータは一番奥の部屋へと向かい、預かった鍵で開ければそこには広々とした空間が。
 風呂場や洗面所、トイレなど一通り揃っており、ベッドもダブルなので二人で寝ても十分な広さがある。清潔な部屋に満足しながら部屋を決めた一番の理由である窓へと向かう。外に向かって開ければ祭りを楽しむ人々の声がよく聞こえ、煌々とした明かりがジータの顔をぼんやりと照らす。
 見下ろしているだけでも楽しいのだ。実際に祭りに加わればもっと楽しいし、彼との思い出づくりにもなる。
「……祭りに行くのではないのか?」
「うん、いま行くー! 隣のお店で服もレンタルしようね!」
「…………本気か?」
 背後からの声にジータは振り返り、元気よく返事をすればルシファーからは胡乱げな眼差しを向けられる。それでも明確な拒絶をしない辺り、本当にジータに甘々である。他の星の民が今の彼を見たら普段との違いに仰天するのは間違いない。
「もちろん! 女の人の服着たルシファー見たいし!」
「興奮するな。気色悪い」
 ジータの脳内に広がるのは色んな女物の服を着たルシファーの姿。体のラインを隠すドレスや逆にラインが出るような露出度高めの服。きっとどれも似合うに違いないと顔面がだらしない状態になっているジータにルシファーはバッサリ切り捨てるも、やはり本気の嫌悪ではなかった。やれやれ……といったニュアンスだ。
「だって絶対に似合うもん! ふふっ、楽しみ! それにしても……嫌だって言わないんだね?」
「はぁ……言っても無駄だろうが」
「私、ルシファーのそういうところ大好き!」
「チッ。研究所に戻ったら覚悟しておけ」
 上機嫌なジータに渋々ながらもルシファーは腕を組まれて隣のショップへと連行される。店はこぢんまりとしつつもショーウィンドウには洗練されたコーディネートに身を包むマネキンが数体展示されており、通りを歩く人々の目を惹く。
 きらびやかな世界とはほぼ無縁のジータは女の子らしく目を輝かせ、仏頂面のルシファーを連れていざ中へ。すると、
「いらっしゃ〜い! あら、可愛いコが二人も♪ もしかして衣装レンタルかしら〜?」
「はい! 隣の宿の人がここで衣装レンタルしてるって聞いて。私たちもお祭りに参加したいなって」
「うふふっ! 私に任せてちょうだい! 特にそちらの星の民さんは磨けば磨くほど輝くダイヤモンドの原石……! 私も気合いを入れて衣装選びをさせていただくわぁん!」
 店主のヒューマンは化粧をし、女物の服を着こなす男性だった。明るい女言葉で話しながらジータたちのそばへ行くと二人の周囲を回って見定め──特にルシファーを気に入ったようだ。嫌な予感がすると眉間に皺を寄せる彼を気にせずに店内をまるでミュージカルを演じるようにステップを踏みながら歩き、衣装を見繕っていく。
「女の子はこれもいいし、彼は……。ところで、あなたたちは恋人同士なのかしら?」
「そう見えます? でも恋人じゃなくて……う〜〜ん、主人と従者? な関係です」
「あらぁ、そうなの? 美男美女のカップルだと思ったわ。素敵だもの、あなたたち。ウフフッ、じゃあその関係を活かした衣装を選ぶわね♪」

   ***

「じゃーん! どう? ルシ、ファー……」
 店主の服選びが終わってしばらくして。広めに作られている試着室から出てきたジータはその場で一回転。先に着替え終わり前で待っていたルシファーに茶目っ気たっぷりな笑顔でアピールするも、その声は途中でか細くなり顔からは明るい表情が消えてしまう。
 ジータの目の前にいるのは黒いドレスに身を包んだ淑女。頭部には上品でゴシックな装飾が施されたカクテルハット、露出も手のみで男性の体のラインを隠すかのように全体的にフリルやレースが散りばめられていた。
 ゆったりとしたドレスの丈も膝よりも下で濃い黒のタイツを穿いているため素肌は見えない。靴は少しだけヒールがある女物の靴で堂々と立つその姿は凛として美しい。まさに絶世の美少女。
 全ての音や風景が遠ざかり、空間にルシファーと二人きりになったような錯覚にジータは陥る。黒によく映える細い銀糸は店内の照明を受けて煌めき、冬空に燦然と輝く青星が宿る両目は涼しげ。整った鼻梁に小さな唇は軽く化粧が施されているのか血色がよく、潤んでいる。
 これがあのルシファーなのか。もともと美しい人だと認識はしていたが、女性的な服装に化粧をするだけでこんなにも化けるものなのか。
 ドクン! ドクン! とコアがオーバーヒートを起こしそうなほどに脈打つ。体温が上がっていき、首元や耳まで紅くなっていく。まるで顔から湯気が出そうなくらいの勢いを止めたのはルシファーの低い声だった。
「フッ……馬子にも衣装だな」
「もぉ〜! そんなイジワル言って! 二人ともとっても素敵よぉ!」
 見た目は美少女だというのに口を開けば男の声。視覚と聴覚のチャンネルがバグったのかと感じるほどだ。ルシファーはジータの姿を見て口元を軽く緩ませると揶揄するようなことを言うが、ジータはその言葉により一層胸を高鳴らせてしまう。
 なんでこんなにもドキドキしてしまうんだろう。どうしよう。女装したルシファーにもの凄くときめいてしまっている。
 赤面しながらチラチラとルシファーを見るジータの服装は一言で表せば“執事”。フリルのついた白のトップスに黒のベスト・ジャケット・パンツ。特に黒の服には金色のデザインが施されており、落ち着いた高級感があった。
「主従関係っていうからピッタリと思ってね。本当に素敵よ、あなたたち……! さあ、時間は有限よ! お祭りを楽しんできて!」
「はっ、はい! ……よしっ」
 店主に急かされてジータの意識は現実に戻ってくる。そうだ。祭りもいつまでもやっているわけではない。善は急げ。せっかく衣装レンタルもしたのだ。目一杯楽しみたい。
「さあお嬢様。私がエスコート致します」
「…………」
 うやうやしく一礼すると黒の手袋に包まれた手を差し伸べる。お前は一体なにをしているんだといわんばかりの視線を向けられるも、ニコニコ笑顔のジータの無言の圧のようなものに結局はルシファーは折れ、片手を乗せれば優しく握られる。
 そのまま外へと向かえば行き交う人々の視線が自然とルシファーへと吸い込まれる。嬉しい反面、この姿のルシファーを他の人に見られたくないという気持ちもあってジータは己の欲深さを自覚する。彼の女装姿は見たい。けど他人には見せたくないなんて。
 さて。気を取り直して食べ物系の屋台を探すために見渡せば近くにりんご飴の店を見つけた。溶かした飴に小ぶりのりんごを丸々一個潜らせて固める菓子。お馴染みの木製の棒に刺さっているものもあれば、食べやすい大きさにカットされ、クリアカップに入っているタイプもあった。
 食べやすさ的にはカップに入った方がいいか。キラキラとした赤い飴細工の果実にすっかりと魅了されたジータは、ルシファーをエスコートしながらドラフ男性がやっている屋台へ。
「すみません。カップに入っているりんご飴をひとつください」
「…………」
 早速声をかけてみれば店主の男性の視線はジータではなく、隣のルシファーに注がれている。当たり前だと鼻が高いものの、正面からの熱視線にいつまでも彼を晒したくない。
「あの〜!」
「──ッ、す、すみません! ではこちらをどうぞ!」
「えっと、ふたつは頼んでないんですが」
「さ、ささささサービスです!」
「ならありがたく頂きますね。お代はこちらに置いておきます」
 もう一度、今度は少しだけ大きな声で話しかければドラフ男性はハッ! と我に返り、慌てた様子でカップのりんご飴をふたつジータの前に置く。
 こちらの注文はひとつだけ。もしかして聞き間違えた? と、訂正すれば声を上ずらせながらサービスだと告げるその目はまたルシファーに向いていて。
 店主がそう言っているのだからとジータはありがたく受け取ることにし、ルシファーを連れて近くのベンチへ移動すると手に持っていたカップのひとつを彼に渡して、自分も隣に座った。
 ここでもルシファーは当然のように目立つ。彼自身は特に気にしていないようだが、ジータは違う。彼の特別な姿を自分以外に見せたくないという独占欲が胸に渦巻いていた。
 それは行動へと繋がる。ジータは片手をルシファーに向かって軽く振るい、とある魔法をかけた。すると今まで彼に集中していた視線がぱたりと止み、以降人々はそこに最上級美少女がいることを認識していないかのように素通りしていくではないか。
「認識阻害か? いつ覚えた」
「いつだったかな。読んだ魔導書に書いてあって。実際にかけたのは今が初めてだけど、成功してよかった」
 使い捨てのミニフォークに刺さったりんご飴をかじりながらの彼の問い掛けに、ジータは記憶を巡らせる。星晶獣である彼女の記憶容量は星の民よりかも大きい。一度見たものは忘れない。それでも容量は無限ではないので不要な情報は削除してはいる。
 今回は数年前に読んだ魔導書に該当する魔法が記されており、ジータは方法に倣って忠実に再現したのみ。
 人々の認識を阻害する魔法は高等魔法に属し、加えて詠唱破棄での発動はかなりの熟練度や魔力が要る。そう簡単に発動できる魔法ではないのだが、ジータは剣を振るうのと同じくらいの要領で行使した。
 ルシファーが造り出した最初の星晶獣は、ジータ自身が考える以上に強大な力を秘めているのだ。
「飴がパリパリしてるし、甘くておいし〜! ね、ルシファーもそう思うでしょ?」
 飴のなめらかな舌触りや蕩ける砂糖と林檎の甘さに、口の中が幸せでいっぱいになる。見た目も綺麗な赤色でまるで宝石のよう。目でも舌でも楽しめる一品にジータは可憐な花の笑みを浮かべてルシファーに同意を求めると、
「ただの糖質に感想などない」
「そんなこと言っても結構食べてるし、甘いもの好きな方でしょ?」
「スクロースにH2O、林檎。シンプルな作りだが……まあ、不味くはない」
「ふふっ! よかった」
 糖質だからと感想はないように言うがさらに言葉を重ねれば、不味くないという言葉を引き出せた。冷たいように思えて会話をしてはくれるのだ。彼も。
 普段と同じようにジータの方から一方的に話しかけ、ルシファーがたまに返事をしてくれるという会話スタイルながらも、彼とふたりきりのデートということでジータはこの一瞬、一瞬を全て記録していく。彼の一挙一動を見逃さないように集中し、聴力も研ぎ澄ます。彼の言葉を一言も漏らさぬように。
「おい。次はアレを買ってこい」
「アレ? あぁ、綿菓子ね。見た目どおりフワフワしてるんだけど、口に入れるとすぐに無くなっちゃうんだ。面白い食感だよ。じゃ、買ってくるね」
 ルシファーの持っているカップの中身があとひとつとなった頃。買ってこいと命令する彼の指差す方向には綿菓子の屋台があり、店主がちょうど客の子どもに白い綿雲がたっぷりと付いている棒を渡していた。
 こちらの商品もジータは別の島での祭りの際に食べたことがあった。砂糖菓子の一種で口の中に入れると同時に溶けてなくなり、代わりに甘い味が広がるというりんご飴と同じように見た目でも食感でも楽しめるお菓子だ。
 ジータも最後のひと欠片を食べ終わると立ち上がり、空になった自分のカップを近場のゴミ箱に捨てるとその足で綿菓子を買いにいく。
 最初は気乗りしていなかったルシファーもあれを買ってこい、それを買ってこいと次々とジータに命令し、なんだかんだいって食べ歩きを楽しんでいた(ようにジータは思う)。
 普段の食事も研究で脳をフル回転させるからか量は多め。細身の体のどこにそんなに入るんだと思われるくらいには。なので現在屋外に設置されているテーブル席に移動した彼の前には、丸テーブルいっぱいに屋台飯が広げられていた。
 認識阻害の魔法で人々のルシファーに対する認識を歪ませてはいるので彼の美に視線を奪われる者はいないが、現在はひとりで黙々と大量の飯を食べている細身の人間と、それを楽しげに見つめる男装女子の図が珍しいのか足を止める人がちらほらといた。
 もちろんジータはそれに気づいているが女装したルシファーの外見ではなく、ひとりで大食いしている人間に人々は見入っているという点で特に気にしてはいなかった。
 ジータ以外にはS級美少女が大食いしているようには見えないからだ。美しく着飾った彼がたくさんの料理を食べている。食べ方も綺麗で惚れぼれし、ただの食事風景ながらもジータはこの瞬間を自分が廃棄、もしくは機能停止になるまで永遠に残そうとルシファーを見つめ続けるのだ。
「普段でもそうだが、俺の食事風景を見てなにが楽しい」
「ふふっ。いっぱい食べるあなたが好きだからだよ。ルシファー」
「そのような思考回路に設定した覚えはないんだがな……」
 意味が分からないとルシファーは目を閉じてカップに入った飲み物を口にし、ジータは空になった容器を捨てようとゴミに手を伸ばしかけたところで背中に感じる不穏。じっとりとした、まとわりつくような不快な視線。
「……?」
 振り返れば嫌な感覚は消え去り、ジータの視界には祭りを楽しむ人々たちしかいなかった。今のは一体なんなのか。ただの気のせいであってほしいが……。
「どうした」
「……ううん。なんでもない。これ、捨ててくるね」

   ***

「はぁ〜! 今日は楽しかったなぁ〜!」
「くそっ……なぜ寝るときまでも……」
「まあまあ。たまには非日常もいいと思うよ、私は」
 祭りも終わり、宿に戻って入浴も終えたふたりはダブルベッドに横になっていた。そんなふたりの寝間着はジータは男物の半袖シャツに膝下までの丈のズボンというとてもシンプルな服装。
 対するルシファーはお嬢様が着るようなフリルとレースがたっぷりと施された白いネグリジェだ。長袖で丈も長く、銀髪青目によく似合う。
 祭りを楽しんだあと、ショップの店主に衣装を返したときに寝るときも異性装を勧められ、ルシファーの女装姿を見たいジータは快く了承。もともとの服に着替えたあと、店主が選んだ寝間着を受け取り、翌日宿屋の受付に返却すればいいという約束で今に至る。
 ルシファーも嫌ならば拒絶すればいいのだが、言わずもがな。ぶつぶつ文句を言いながらもあれよあれよとジータに着させられてしまったのだ。
 ゆったりとしたネグリジェなので祭りの衣装と同じく男の体の線が目立たない。喉や手を見れば男だと分かるが、ぱっと見は女。
 いつものルシファーならば慣れというのもあり、そういった雰囲気以外では比較的ジータも落ち着いていられるのだが、女装ルシファーは普段見ない姿なのと服のせいか艶っぽいので、コアが相変わらず痛い。正直お許しが出たらご奉仕したいくらいだ。
 いや、駄目だ駄目だ。ルシファーも疲れが溜まっているだろうし、女装姿を記憶に焼き付けるだけにしようとジータは仰向けの体勢から彼の方へと体の向きを変え、掛け布団をルシファーに掛け直す。
「明日はゆっくり起きて……朝ごはんも受付の人に美味しいところがあるか聞いて食べようね」
「…………」
「もう寝ちゃったかな。おやすみなさい。ルシファー」
 仰向けで目を閉じている彼からは返事はなく、すぅすぅと規則正しく上下する胸を見て眠ったことを知り、ジータは彼にしか見せない笑みを浮かべると自らも目を閉じてコアの出力を最小限にし、意識を落としていく……。

   ***

(か、体が動かない……!?)
 お祭り騒ぎの夜もすっかりと静かになり、ジータもルシファーと深い眠りについていた頃。突如として自分たち以外の気配を感じ取ったことにジータは目を開けようとするが、意識と体が切り離されてしまったように動かない。
 起き上がろうとしても同じく。星晶獣であるジータは一般の星の民や、もちろん空の民よりかも状態異常に対して耐性がある……はず。完全無効化ではないし、ルシファーにもどれほどの耐性を備えたのか聞いたことはないが、今までの敵との戦いである程度は把握していた。
 それだというのになんだこれは。麻痺とはまた違う感覚。特殊な状態異常なのか。それならば耐性がなくても頷ける。
 星晶獣である自分がこうなのだ。星の民であるルシファーは無事だろうか。意識は水の中を藻掻くように体を動かしているが、実際には動いてないだろう。それでも諦めるわけにはいかない。
 せめて目だけでも。とてつもなく重くて分厚い鋼鉄の壁を持ち上げるイメージで目蓋に集中していると、ほんの僅かながらも視界が開けていく。
(あれは、なに……? ルシファー……!?)
 片目を持ち上げるのが精一杯の苦悶の表情をするジータの眼前に映るのは、ドラフ男性よりも少し大きい不定形の黒い影がルシファーを抱いて窓から逃げようとしているシーン。
 彼もジータと同じように体が動かせないのか、意識はあるようだが面様が強張っている。早く、早く助けなければ!
 動け動けと何度も脳内でリフレインさせるその間も正体不明の影はジータを見つめる。顔がないはずなのに、ジータはなぜか笑っているように感じられた。まるで勝ち誇ったような。謎の影との邂逅はこれが初めてのはず。
 術を破ろうと必死になっているジータをよそに影はついに窓の向こうへと消えてしまった。片目でそれを見ていることしかできなかったジータは目の前で自分にとっての最愛であり、守るべき存在であるルシファーが連れ去られてしまったことに憎悪と悲しみが綯い交ぜになった涙が頬を濡らしていく。
 それから数分後。ようやく術が解けたジータは飛び跳ねるようにベッドから起き上がると、開け放たれたままの大きな窓から外を確認する。当然だがルシファーの姿はない。焦燥感がじわじわと全身に広がり、寒くなどないはずなのに震えが止まらない。ルシファーをさらった相手は自分と同じように人ならざるもの。一体なにが目的で彼をさらったのか。
 ふと、思い出すのは宿屋の店主の話。祭りを行うきっかけになった遠い昔の出来事。気に入った人間の女をさらう魔物が島におり、とある既婚者の女性が魔物の生贄に選ばれた際、魔物に連れて行かれる当日に夫婦は互いに異性装をし、妻の代わりに女装をした夫がさらわれた。
 連れ去られた夫は魔物と戦い、その場に駆けつけた妻も加わった。そして夫婦は魔物を倒し、今では夫婦の勇気と愛を讃えた異性装の祭りへとなっている。夜も男が女物、女が男物の服を身につけて眠るのも、もし再び魔物が現れても最愛の人を守りたいという夫の気持ちを汲んだものだ。
 まさか数百年も前に倒されたはずの魔物が現代に蘇り、ルシファーをさらったというのか。もし、彼が女装などせずに普段の服で眠っていたら、さらわれていたのは自分だった……?
 もしかしたらの考えにジータの顔は真っ青になる。彼にせっかくだからと女装を勧めたのは他ならぬ自分だ。自分のせいで彼は魔物にさらわれてしまった。
 私のせいで……。私のせいで……!
 悔恨と魔物への怒りにジータは全身から力が抜けていき、顔を伏せだらりと立つとぐちゃぐちゃな感情が頭の中を支配する。体中が熱くなって、彼女の体から蒼い光が迸り、金髪の髪が深い蒼へと変わっていく。顔を上げた彼女の榛色の瞳は髪と同じように蒼に染まっていた。
 ルシファーとはまた違った蒼色の目は窓の外、はるか遠くにある森の中に注がれる。本能で感じる彼の気配にジータは頭で考えるよりかも先に体が動いていた。窓枠に足を掛けて飛び降り、地面に着地すると荒れ狂う風の如く駆け出す。彼女の通り道、外に置かれていた物たちが音だけ残された風によって舞い上がる。
 通常時とは比べものにならないスピードで向かう先には崩れかけの廃墟があった。そこそこ大きな石造りの建物の使用用途は不明ながらも、今のジータにとってはどうでもいい。
 近づくにつれて聞こえる戦闘音。轟音が鳴ると続いて建物の崩壊音が聞こえ、ルシファーが魔法で戦っていると分かった。彼は星の民。そう簡単にやられたりしないと分かっていたが、実際に目の当たりにすると安心度が違う。
 建物の入り口に着けばルシファーの後ろ姿が見えた。逃げ回る影に向かって手のひらから火球を連続で放つも、敵の方が素早くてかすりはしても直撃はしていない。
 ジータは彼の無事な姿を見ると瞬時にひと振りの剣を魔力で生み出し、構えると駆け出す。
 ルシファーが自分以外の存在に気づいたのはなにかが横切った刹那、吹き抜ける突風でだ。
「ギャアアア゛アァァ゛ァ゛ァァッッ!!!!」
 目で捉えきれない速度で真っ直ぐに影に突っ込んだ“なにか”はルシファーの目には蒼い髪をしていたように見えたが、影に剣が深く突き刺さるとそこから鏡が割れるようにヒビが入っていき、光が溢れ──最後にはなにも見えなくなった。
(これって……!)
 本能に従って行動しており、黒い影の断末魔によってようやく我に返ったジータは光の中でとある光景を見る。それは体中傷だらけの男装した女性と、女装をした男性の姿。
 これは伝承の中の魔物視点の記憶か。男女は傷から血を流しながらも命をかけて魔物を討伐し、その魔物の命が潰えるときの今際の怨念。
 しかも男女をよく見れば男の方は銀髪で中性的、女は男装しながらも可愛らしさが残った金髪の女性とジータたちの姿に似ている部分が多いではないか。
 恨みを晴らすために負の感情だけの存在で蘇ったというのか。光が徐々に収束するにつれて視界は黒く塗り潰されていき、最後にはなにも見えなくなった。
 ついさっきまで派手な音を立てていた場所も今では自然の音のみが聞こえるだけ。ルシファーに背を向ける形で立ち尽くすジータの髪色は蒼から金に戻っていた。
(終わった……よね……)
 魔物を倒した夫婦本人かどうかは関係ない。あまりにも似すぎていたジータとルシファーの存在に残留思念が突き動かされ、今回の事件に発展した。だがこれでもう本当の意味で倒されたと信じたい。
 昔年の恨みそのものである影を倒したジータはこれでようやくこの島に真の平和が訪れたのだと、感慨深い気持ちになる。最初はルシファーとデートをしたくて来て、偶然やっていたお祭りを楽しんだだけだというのに。ある意味では島を救うことになったのだから。
「…………っ! ルシファー、大丈夫!?」
「……ああ。問題はない」
 思考の海から浮き上がるとルシファーの存在を思い出してジータは慌てて振り向き、腕を組みながら立つ主へと駆け寄る。
 女装姿ながらも堂々としているルシファーの、フリルやレースが施された白いネグリジェはところどころ破けたり汚れたりしており、これは買い取るしかないなと苦笑いしながらも彼の体に目立った怪我がないことに安堵する。
 彼ならば仮に自分が助けに行けなくとも自力でなんとかする力を有しているが、とにかく無事でよかったとジータは張り詰めていた息を深く吐き出した。
「無事でよかった……。ごめんなさい。あなたを守れずに、私……」
 そう言ってジータはルシファーを抱きしめた。外の気温と元々の体温の低さが相まってひんやりとしている体に自らの熱を分け与えるような抱擁は深くなり、ルシファーの存在が自分の腕の中にあるという安心感にジータのかんばせは緩む。
 彼の方から抱きしめ返されたりはしないが、いいのだ。とにかく無事でよかった。
「ジータ。あの蒼い髪はなんだ」
「髪? なんのこと?」
「……いや。なんでもない」
 ぼそりとした問いにジータは顔を上げてルシファーの顔を見るも、自分自身の姿を見る機会などなかったために分からない。首を傾げる獣の顔からして虚偽の答えではなく、本当に身に覚えがないと決定づけたルシファーは意外とすんなりと引いた。今は疲労が蓄積していて疑問をつまびらかにする余裕がない様子。
「ねえルシファー。私、あの影の記憶を見たんだけど……宿屋のおじさんが言っていた話と同じだった。異性装した夫婦が魔物を討伐していて……。それにね、なんとなく私たちに似てて。残された強い怨念が私たちを誤認してあなたをさらったみたい。……さすがにもう現れないよね」
「ふん……。はた迷惑な話だ。行くぞ」
「あっ、待って!」
 ルシファーが先に歩き始めたことで思考中断。破壊された廃墟は瓦礫が多く、よく見れば彼の足の裏からは血が滲んでいるではないか。
 ジータはルシファーの手を掴んで止めると、そのまま抱きかかえた。身長の差がかなりある成人男性を軽々と抱える少女の姿は違和感が凄まじいが、星晶獣である彼女からすれば簡単なこと。
「足、怪我してるよ。それに私が走った方が速く着くから。舌、噛まないように気をつけてね」
 微笑みかけるジータの腕の中でルシファーは受け入れるように目を閉じた。彼自身無駄を好まない。この場合、自力で、しかも素足で帰るよりかも星晶獣であるジータに抱えさせて走らせた方が早く宿に着くと判断した結果だ。
 しっかりと主を抱きしめ、地面を踏み込み駆け出せば景色が高速で流れていき、ルシファーの耳は風を切る音だけが支配する。
 森を抜けて街道に出ると月が明るく大地を照らし、神秘的。しかしじっくりと見ている時間はないのでジータは走り続け、宿が近くなると軽やかな身のこなしで家の屋根に飛び乗り駆ける。
 宿泊している二階の部屋は大きな窓があり、魔物がルシファーをさらう際に開けたままになっていた。宿屋の前に位置する建物から窓まで距離が少しあるが、ジータはものともせずに跳躍すると、開けられた窓から室内に着地。着地の際の音も最小限なので他の客を起こしてしまうということもないだろう。
 ベッドの端にルシファーを丁寧に下ろすと、そのまま跪いて足を確認する。白く透明感のある美しい足は今はところどころ黒く汚れ、裏は崩れかかった廃墟を素足で駆け回った影響で傷が多く痛々しい。
 彼は特に痛みを顔に出してはいないが、自分がもっとしっかりしていれば……! と、ジータは罪悪感に駆られる。主を連れ去られ、怪我もさせてしまうなんて廃棄されてもおかしくない失態。
 実際のところルシファーはこの程度で廃棄はしないのだが、それほどにジータの心は打ちのめされていた。
「下らん自責をしている暇があったら早く治せ」
「あっ……はい!」
 負のスパイラルに陥っていたジータの意識を逸らしたのはルシファーの一言。至極もっともな指摘にジータは治癒の魔法を唱えればじんわりと温かい光が足を包み込み、細かな創傷は塞がっていく。
 ものの数分もしない内に傷は消えた。あとは汚れを拭くだけだとジータはタオルとお湯を入れた洗面器を用意すると極めて優しく汚れを拭き取っていく。
 足の裏はもちろん、指の間まで丹念に。黒く汚れた肌が本来の色を取り戻していくのにどこか満足感を得ながらジータは手を動かし続ける。
「もういい。やめろ」
「待って。あと少しで終わるから。……よしっ」
 ルシファーからの小言をなだめながら最後に乾いたタオルで水分を拭き取れば終わり。汚れていた足は本来の白さを取り戻し、その美しさは女性と見間違えるほど。
 男性らしい体のラインを隠す作りになっているネグリジェと相まって本当に女性に見え、ジータの中に危険な妄想が生まれるも今はそんなことをしている場合ではないと冷静になり、ルシファーに着替えを勧めるが、
「着替えるのも面倒だ。裸でいい」
「わぁ……大胆」
 疲労の方が上回っているルシファーは乱雑にネグリジェを脱ぐとベッドの上に放り、そのまま横になった。一応下着は穿いているので問題はないのだが、その思い切りのよさは見習いたいところだ。
 ネグリジェを回収しながら横目に見る細身で凹凸の少ない、男と分かる体。風呂に一緒に入ったり、夜を共にしたりと彼の肉体は見慣れてはいるが、唐突に裸になられるとジータも恥ずかしさを感じる。
 駄目だとは思うが、中性的な顔の下にある体にどうしても不埒な視線を向けてしまう。これも彼を愛しているがゆえなのか。
 いつだって彼が欲しい。完成された星の民といえど人間。星晶獣であるジータが力の入れ具合を誤れば簡単に壊れてしまう体を優しく愛でたい。
 こんなときに不届きな妄想を繰り広げてしまう己を叱責すると、ジータは気を取り直して彼に微笑みかけ、小声で伝える。
「今度は私、起きてるから。あなたはゆっくり休んで」
「……はぁ。祭りではしゃぐお前に付き合って疲れているというのに過去の怨念……。俺の魔法で燃やし尽くせばまだこの怒りのやり場があったか」
 うんざりだとルシファーはため息をつきながら片手で目元を覆った。彼の言うとおり魔物へのとどめを彼に任せればよかったかもしれないが、自然と体が動いていた。彼を守らなければ、と。
「ごめんなさい……。でも、あなたとお祭りを回ってとても楽しかったし──ふふっ、異性装したルシファーも素敵だなって」
 服屋の店主がコーディネートしてくれた主従関係を示す自分たちの姿を思い出して、ジータのえくぼは自然と深くなる。色々言いながらも屋台の食べ物をひととおり食べて彼もそこまで機嫌が悪くなかったし、これから先どんなことがあっても忘れない、かけがえのない思い出にもなった。
「……俺は寝る。ギリギリまで起こすなよ」
「うん。おやすみなさい。ルシファー」
 それきり彼は黙り、疲労からかすぐに静かな寝息が聞こえ始め、ジータは片付けを素早く終えるとベッドに入り、ヘッドボードに寄りかかりながら最愛の人の寝顔を見下ろす。
 鋭い光を宿す両目は閉じているだけで柔らかな印象へと変わり、数え切れないほどに見ている主の寝顔だというのに毎回見入ってしまう。
(これから先も、ずっとあなたと一緒に……。あなたを守る存在に……)
 今回の件があってより一層彼への想いが募る。
 星の民である彼と星の獣である自分の時間は無限と思えるほどにある。その未来でも彼の隣にいたい。
 星の研究者の最初の獣である少女は、純粋な想いを胸に聖母のような微笑みをたたえながら主を見守り続ける……。